発達障害児療育センター

「障害児が生まれたら」について

   著者である故小笠原平八郎先生は、上記著書「障害児が生まれたら」を1979年 にサイマル出版会から発行する。版を重ねて12版を数える。これは、心理学・教育学・神経学・神経心理学 ・生理学・大 脳生理学などなどの研究が急激に進歩する中で理論と実践が非常に明快で、また、現実に良い結果を示している神経構成理論が20年たった今も最高のものと確信できる証拠である。
 事例その他の改訂版を準備していた2000年3月に先生は改訂版 の発行を見ずに他界された。以下は、その改訂版に準備していたものである。

障害児療育の問題に挑む

   本書は、障害児をもつ子どもたちの問題性を取り除くための基本的な理論であり、また、 そのための保育・教育を展開するのに必要な技術と方法と態度等を、具体的に示唆する実践のための記録である。

ここでいう「障害をもつ子どもたちの問題性」とは,
 @  知的に遅れがある。
 A  歩行が遅い。あるいは、歩くことができない。
 B  ことばが遅い。あるいは話すことができない。
 C  多動傾向ー落ち着かず、たえず動きまわる。
 D  固執傾向ー意味のない同じ行為を繰り返しする。
 E  自閉傾向ー人との関わりが難しく、意志の疎通が大変困難である。
 F  集団に参加できない。
 G  理解力に欠ける。
 H  字が読めない。
 I  字が書けない。
 J  数が理解できにくい。
などを意味している

なぜ研究をはじめたか

 まず、私がこの研究をしなければならなかった動機的要因を次に述べておきたい。

 @  私が園長を務める社会福祉法人虚弱児施設(現児童養護施設)グイン・ ホームの園児の中に、多くの難しい障害をもつ子どもたちが措置されてきたこと。
 A  そして、この障害をもつ子どもたちをより高度にデイ・ケアーする意味を含 めて、社会福祉法人 知的障害児通園施設 白百合学園を昭和47年に設立した。
 B  多くの先達の労苦と研鑽にもかかわらず、この分野の実践的保育・教育の 実態とその水準にすくなからぬ驚きを感じた。そして現場における保育・教育内容の研究をする必要性から、神戸障害児療教 育研究所を設立した。何故なら現場に必要とするものは、経験を集積してそれらを体系化することである。このことが学となり 又原理あるいは論となるかである。この学・原理・論の中から治療的教育の適切な技術と方法と態度が提示されるからである。
 C  障害をもつ子どもたちが(肢体不自由で知的に遅れのない子どもは除く) 普通クラスに入って学んでいく過程で、果たしてその保育・教育の内容を保証しうるものが展開できるの かどうかに疑問をもった。教育権の保証とは建物、教材、教師が頭数さえそろえばよいということではなく、 保育・教育の中身が問われなければならない。それは集団に参加することでこの子どもたちがもっている 問題性を、どれだけ一つひとつ、着実にとり除き、かつ、子どもの知的発達の向上をより効果的に獲得で きるかどうかという疑問でもあった。それは現状ではとうてい不可能に近いと痛感してきた。
 D  障害をもつ子どもたちにとって、教育とは障害を取り除く、その過程にあ る。身体的な成長と知的発達を促し、それをより確実に獲得することである。健康な子どもたちは、大学を 終えるまで学び続けているではないか。障害をもつ子どもたちにも、各々が抱えている問題性に終始一貫し た系統的な教育を長期間行なっていくならば、一つひとつの問題性も取り除いていけるに違いない。きっと 社会集団に所属しうる最小の知的発達の獲得が可能な子どももでてくるに違いない。これらの子どもたちに とっては、健常児の集団に参加することが第一義ではない。社会集団に所属しうるための基本的な、発展的 な課題を考慮した教育を、2から3,4歳まで系統的に徹底的に継続遂行することである。その間、健常児 集団は、必要とされる時にのみ使われる1つの場であり、障害をもつ子どもにとっての教材に過ぎないので ある。つまり、その集団は健常児が障害児に対する道徳観を学ぶ場として優先されるのではなく、障害をも つ子どもたちの問題性を取り除く場として用いられるべきてある。
 E  障害児を生まないという保証はない。障害児を生む出生率は、100人中3. 3人、すなわち出生の3.3%と考えられている。統計上、30人中1人の可能性である。自分の子ども、 あるいは子孫に障害児が生まれないという保証はないのである。21世紀は、この問題をより明確に治療的 教育を展開するためにはどうしても脳の機能との関連をとらえる必要があるからである。

   一方、何らかの理由から脳に障害をもって生まれた 子どもたちを育てている両親は、専門家からどんなアドバイスを受けているのだろうか。あるいは、その障害の 問題性を取り除いてほしいと、親が多くの治療的期待をかけ訪れる通園施設、幼稚園、保育所、学校などで、子 どもたちはどのような保育・教育を受けているのか、その実態を実例を通してさぐってみた。
   2部では、それで私は、どんな考え方で障害のある 子どもたちの問題性を取り除こうとしているのか、私の学び得た数々の理論を述べた。実践の場にある人びとが、 また障害児を育てている両親が、子どものもつ問題性を基本的にどう考えればいいのかを知るうえに役立てば幸い である。
   3部は、学び得た理論を私が実践の場でいかに展開している か、子どもたちの各々の問題性を取り除くために行っている保育・教育の実際を具体的に示した。保育・教育の場で、知的 に遅れがあり、多動や自閉的な問題性をもつ子どもが、それらの問題性を取り除いていく苦闘の過程から、 学ばせていただいた研究について、さらに、歩くことが困難であった子どもたちが歩けるようになっていく具体的訓練の 過程からの研究を述べさせていただいている。

   本書が身体的の障害のある子どもたち、知的な遅れをもつ子どもたちのために、 その治療実践の方向性を少しでも明確にできるならば、それは、今日まで私を支えてくださった研究所やグイン・ホーム、 白百合学園の多くの理事各位と職員に負うところ大である。また、本書に多くの引用文献を提供くださっている諸先生方 の賜である。巻末に引用・参考文献の一覧を付したが、ここで重ねてお礼申し上げたい。本文行間の(番号)は、その引用 ・ 参考文献番号である。

(2000年1月)
小笠原 平八郎

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